戦後61年

原爆の落ちた街に生まれ育った私です。

たった61年前に惨事が起きた街も今ではその痕跡もほぼ残すことなく復興し、当時を知る人も減り、平和が当たり前の世の中になりました。

祖父が被爆したので、私は被爆三世になります。
関係あるのかはわかりませんが、同じ被爆三世の従兄弟は白血病で早くに亡くなりました。

祖父から聞いた話では、61年前、まさに地獄絵図そのものだった、と。

河口では潮の満ち引きで水面を埋め尽くした死体が行ったり来りを繰り返し、猛暑で腐敗した遺体からは昼夜問わず「パンッ」と腹を裂いて溜まった腐敗ガスが噴き出す音が聞こえ、道端には全身にガラスが刺さってハリネズミのようになった人、木片が突き刺さった人、火傷で全身の皮膚を失った人・・・
みんな水を求めて声にならない呻き声を出し、苦しみながら死んでいったそうです。

その惨劇は戦後も当分続き、原爆症を患った人たちは「伝染する」と根拠の無い噂で隔離され、ただ自分の体に卵を産み付けるハエを追い払い死を待つ日々、親を失った子供たちは誰とも判らない死体に群がって大量発生した川蟹を捕り、茹でて食べていた、と。

信じられますか?ほんの少し前の日本の惨状・・・