変化

年々、自分のバイクの走行距離は減っている。
 
だからと言って、決して気持ちが冷めた訳じゃない。
 
理由はイロイロある。
 
他にも趣味が増えている事や、
 
単純に仕事量が増えてそれに費やす時間が増えた事もある。
 
いや、仕事は言い訳か、バイク屋時代には今より遥かに長い時間、仕事に拘束されていた。
 
と考えると、やっぱり飽きているのか?
 
しかし、バイクに費やしている費用の面で考えると、若い頃とは比較にならないくらい金額的には嵩んでいる。
 
昔なら、動けばいいやってノリだったのが、今はそれだけじゃ納得できない事も多くなった。
 
調子が悪いと乗りたくないし、中途半端な状態で誤魔化しながら乗りたくない、って気持ちが、バイクに乗らない言い訳かどうかは別にして。
 
時折、車を運転していてZやカタナを見ると、ついつい追いかけてしまいそうになるし、
 
くそっ、俺もバイク乗りたいんだよ、って思う。
 
そう言う瞬間に、「ああ、俺、やっぱ全然冷めてないじゃん」って再確認したり。
 
 
 
Z1000Jに乗り始めて15年以上経ったけど、今更ながら改めてこれほど絶妙でヘンテコなバイクに出会ったものだと思ってしまう。
 
よく、何がいいの?どこがいいの?って聞かれるんだけど、ハッキリ言ってそんな長所は無い。
 
誰がどう見たってずば抜けた他車を凌ぐポイントなんか無いし、あれが当時の最高傑作なのか?と考えると、あくまでも過渡期に生まれた1台に過ぎないと思う。
 
ましてや現行車に比べて性能面で太刀打ちできる事なんか何一つ無い。
 
ただ、モノ作りに携わる自分から見ると、Jにはオートバイとして余計なものが非常に少ない。
 
特に機械式速度計を採用したヨーロッパ仕様のJ3なんて、ハーネスまで物凄くシンプル。
 
 
乗り始めた頃は、そう言うシンプルさがどうにも貧弱に見えて、
 
わけのわからない無意味な社外サブフレームを付けてみたり、ステダン付けてみたり、とにかく太いフォーク、太いSアーム(スタビライザー追加含)、とにかく何かを付け足してその貧弱さを打ち消したかった。
 
けど不思議なもので、いざ組みつけてみると
 
「ん・・・・なんか・・・違うな」
 
でもお金かけた建前もあるし、無理矢理それに納得している自分も居たり。
 
そう言う車両に乗ってみて、明らかに「これ、おかしいだろ?」って経験もしたり。
 
昔よく、Zを17インチ化して「まるでゼファーみたいな・・・」って言ってた人が居たけど、いやいや、ゼファーに失礼だ、ゼファーはそんなに酷くないぞ、なんてのはしょっちゅうで。
 
で、あれから徐々に方向性が変わり。
 
最近はmk2系なんかは特に19インチ、18インチ派が多数になってきたけど、それはある意味で「必然」による回帰なのかもしれない。
 
ただ、自分にとってバイクって言うモノ自体は、定番通り、教科書通りの優等生を作り上げる事だけが楽しみじゃない!って気持ちは10代の頃から不変。
 
そういう思いで、まだまだJにはやりたいことがある。
 
手を入れれば入れるほど、地味でシンプルにしたいっていう気持ちが逆に高まってきて、今はちょうどその転換期なのかな・・・と最近気付いた・・ような・・・きが・・・しないような・・・するような。
 
 
乗らないわけじゃない、今はちょっと考え中なんです。
 
焦ってもしょうがない、資金が必要なら貯めるしかないし、見付からない部品は探すしかない。
 
頑張ろう。