変わる

部屋の掃除をしていたら、10~15年前の雑誌が出てきた。

BGとかロードライダーとかバ王とか。

今は全く見ないけど、まだ売ってるのだろうか?

ま~、なんと派手に装飾されたZやローレプがわんさか載っていますが、

あれから時が経ち、それらのバイクって今現在、どれだけの車両が現存しているんだろう?と考えた。

オイルクーラーを2個付けたり、

250レプリカ用のフォークに15cm延長キット組んだり、

今じゃ絶対無いだろうなってのが尤もらしいコメントと共に掲載されている。

中には「対向ピストンキャリパーに交換することにより、片押し式キャリパーの倍の制動力を・・」なんて笑っちゃうようなコメントまで堂々と掲載されている。
作用、反作用の法則でさえ無視されていたそんな時代。

でも、きっとその当時はそれを見て「へぇ~」「すげぇ~」って、ときめいていた大学生や高校生がいたのも事実。

そしてそれを作るために数百万注ぎ込んだ人が多数いたのも事実。

で、それを考えると、

今売っている雑誌や、今現在更新されているこのブログも、あと10年、20年経って読み返すと

「はぁ?」「なにそれ?」って事になるんだろうなぁ・・・って思った。


ファッションにしたって髪型にしたってそうだけど、今現在「サイコー」って思っている物が、

たった10年で嘲笑の対象になることは珍しくない。


ただ、それを10年先取りしたところで、今度は今現在「ナニソレ?」って対象になるだけだったりもする。

確かに旧い雑誌にも「お!ナイスセンス!」って思う車両も何台かあるんだけど、

当時の扱いはページ半分しか載っていなかったり、白黒だったり、当時ではあまりヒトの心をくすぐらなかったんだろうなって思わせる扱いを受けている。

ただし、例外もある。

S1レプリカとか、レーサー(モンスター)レプリカとか、KR1000レプリカとか、
いつの時代でもトップページを飾り、賞賛を受けている。

それは結局・・・

カスタムっていうより改造って言うのが、全て「速く走る」って1点のベクトルを向いているからなんだろうね。

要するにブレや迷いがない。

必要なことをやるために、必要な加工を、必要に迫られて行った。

結果、それが機能美として受け入れられる。


逆に、ただ無作為にイジって行くとどうにも美しく見えないのは、矛盾点があるからって事にもなる。

ぶっとい17インチマグ履かせて、それに付いているタイヤが型遅れの硬化したようなどーでもいいのだったりすると、何のためにワイドリムとマグが必要だったの?みたいな。

レーシングなキャブレタに、パワーフィルターが付いていたり、

凄くレーシーに仕上げてるのに、ハンドルだけがマヌケなアップハンドルだったり、

(乗り方まで言っちゃえば、ハードゲイみたいなパツンパツンのレザーのおかげで身体が硬直して、おかしな乗り方してたり、挙句履きなれないレザーパンツのおかげでたちゴケしたり)


じゃあ、みんなレーサー風に仕上げればよいのか?っていうおかしな事になる。

そんな事はない、

マヌケでも、おバカでも、自分の思うようにやればいい。

いつの時代でもヒトに見られることだけを重視するなら・・レーシーにすれば?っていう話で。

少なくとも、自分は雑誌に掲載されて、ヒトに褒められる事を目標にしているわけではない。


だから旧い雑誌に載ってた「今じゃありえね~」ってバイクたちも、それはそれで良かったのだと思えた。

きっと、今頃はヤフオクでバラバラにされて、部分部分はドナーとして生きていることだろう。